ほっとする

ほっ とする

ゴールデンウィークが終わるということに・・・

 

仕事が休みなのは嬉しい

子供と過ごせるのも嬉しい

けど

なんでだろう

旦那にはイライラしてしまうの。

 

一番は喫煙ね。

いつも庭で吸ってるけど

戻ってくるとほんと不快

今の時期は窓を開けてるでしょ

におってくるのさ。

ほんとに不快

 

不快しかなくて

ほんとなんでだろう良い人だけど

まじでストレスなのよ。

 

仕事もちゃんとしてるしさ、それなりに稼いでくれてるから

それくらい目をつむらないといけないのかね・・・

 

かくいう私も最近まで喫煙してた

だから余計にイライラしちゃうのかもね。

 

まじで喫煙の時間とお金って無駄だよね。

一本吸うのに5分 20本すったら、100分よ。

その時間でなにができる?

でももう病気だからね。ニコチン依存。

私も何度も何度も禁煙失敗してきたから

どんだけ辛いかはわかるけど。

 

もう、早く死にたいんだな、この人って最近はマジで思う。

辞めてもらうより、保険いっぱいかけないとって考えにシフトしてる

自分がいますよ^^;やばいかね。w

 

まぁ、旦那の話はひとまずここまでにしておきます笑

いつも話がずれずれですね。

 

昨日、自分の実家へいってまいりました。

65歳だったかな、母と父 二人ともまだお仕事してるので

今のとこ元気で2人で暮らしてくれてるのでとっても安心です。

 

2人ともとっても優しいし

今ではとても大好きです。

 

でも、私はすごく自己肯定感が低い、それをつくったのは

やっぱり両親だったんだとおもう

 

私の色々が壊れた一番の原因は

高校受験の失敗です

ありきたりかな?

 

中学生になって、定期テストで90点以上とらないと

母親は鬼のよう怒る

試験前に勉強していて、寝ちゃうと

「なに寝てるの!勉強しなさい!」って部屋にやってくる。

そんな母親だった・・・・・

 

でもね、母親の期待に応えたい

褒めてもらいたい

常にどの教科も100点目指すくらい勉強した

必死に勉強した

あのね、多分嫌いじゃなかったの。

勉強自体は。数学とか解けると嬉しかったし

でも半分以上は、お母さんに褒めてもらいたいから

頑張ってたんだよ。

 

だから、中学1年から成績はよかった。ほとんど5か4だったと思う。

塾もいかないで頑張った。

 

でもね、違うのよ、受験の勉強と学校の定期考査の勉強って。

学校の定期考査は、その一定の範囲を必死にやれば、誰だって

良い点数とれるの。やれば絶対できるの、頭悪くても必死にやれば

できるの。

でも、受験の勉強って実力っていうか、自頭もやっぱり関係してるよね。

中学3年になって、地元で、頭がいい子しかいかないような進学塾に行くことになった。

そこで思い知らされたよね、

授業に全然ついてけない。

でも、内申だけはいいから

塾の先生も大丈夫ですよ、良い高校目指せますよ

がんばりましょうって。

私は私で、プライドがあったのね。ついてけなくてもついていってるふりをするのに

必死で

授業なんてなんの身にもなってなかった

 

V模擬も過去問も全然いい点数とれないのに

学校の担任も塾の先生も

これから伸びるから大丈夫!こんだけ内申とれてるんだから大丈夫!って

かなり偏差値の高い高校を目指せという

母親もそうだそうだってなる。

私は別に行きたくない

私はもう少し偏差値低くても

私服で登校したり茶髪とかピアスとかできたり校則があまり厳しくない高校の

文化祭を見て、すごく魅力を感じて

そこに行きたいって言ったら

多分鼻で笑われた

 

母親は私になにを求めていたんだろう

私になにになってほしかったんだろう

 

あなたのためにあなたに褒めてもらいたかったのに

でも本当に私は

頭なんてよくない

絶対にそんな偏差値の高い学校に受かるはずない

私はわかってたのに

 

だれもきずいてくれなくて

最後までV模擬でいい結果をだせなかったのに

本番ではお腹が痛くなり

まったくとけなかった

 

もう絶対落ちたって確信できるくらいできなかった

 

本当にごめんなさい

本当は期待にこたえたかった

喜んでもらいたかった

笑った顔がみたかった

なんで

なんてダメな人間なんだろう

もう答えはわかってたけど

受験発表を見に行って

自分の番号がなくて

学校にも行けず

部屋からでることができなくなった

 

結局併願の私立高校に行くことになった

 

こんな私のために高い授業料をだしてもらうことに

すごく劣等感があった

 

そして母親はこの日から

私に期待をしなくなった

勉強しろって言わなくなった

 

今まで母親の期待に応えるために生きてきたのに

私はどうしたらいいんだろう?

まだ15歳の私には答えなんてみつからない

ただただ、母親と父親に反抗するしかない日々がはじまった

 

でもね、私立高校だったし、みんな育ちの良い子が多いい学校だったからね、

そんなわかりやすい不良にはならなかった

ただ、中学の友達と、遅くまでファミレスでくっちゃべって

帰る時間が深夜になるとか

学校さぼったりとか

それくらいで

勉強も赤点とらないくらいでなんとかやってたの

部活もテニス部で結構ハードだったし

それなりの高校生活をしてきた

 

でも2年生の夏、部活で足を怪我して1か月練習ができなくなり

私の人生が狂いだした

夏休み中、部活ができなく、家にいるしかなくて

運動しないと太るよな。って思ってダイエットをはじめた・・・

食べたら太る、だから食べない かなりストイックにやってしまったのね。

何を頑張ればいいのかわからない私はダイエットをして細くなって

みんなに可愛くなったねって言われたかったんだと思う・・・・

 

はぁ・・・もう25年も前の話なのに

いまだに覚えてるってすげー記憶力。笑

色々な感情がいまだにふつふつと湧いてくる

今のこれを書きながら涙が溢れる

ちょっともう今日はここまでにしておきます、

明日、ダイエットの行方をお話ししたいと思います。

 

こんな長々とした文章を読んでいただき

とっても嬉しいです!^^

また明日もよろしくお願いいたします^^